拘束すること
この間、久しぶりに秋葉原の大人のおもちゃ屋に行って来た。
避けざる状況があり、すこぶる爽やかに拘束具を購入してみた。
その「爽やかさ」たるや、映画「日蓮と蒙古大襲来」のラスト、日蓮(長谷川一夫)が見せる笑顔の爽やかさに匹敵するくらいの爽やかさだ。
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結局、「避けざる状況」とは自分の趣向の対峙な訳だけれども。
SMの様式を求める訳ではないが、相手を緊縛するなり、拘束することがどうも生理的に好きらしいということは覆せない事らしい。
またその拘束とは物理的拘束にみに止まらず、社会的役割の拘束、つまりは制服であっても十分。
その意味ではサディストではない。というのも視覚的刺激さえあれば十分な訳で、性的感受性がAVを中心に構成された世代は恐らくその傾向が強まっているはず。相手に対して肉体的な苦痛は与えたくはないのだ。
結局は自分の性的趣向すらも主体的に選び得ない事実に、多少は失望する。
僕に出来る事と言えば、犯罪者にならないよう、素人にはそういうことはせず、プロとだけ相手するくらいのことだ。